<第16回投稿 6月>

生成系AIの呼び方について思う

瑞穂市教育委員会 教育委員 森下 伊三男

 最近、新聞やテレビのニュースで ChatGPT という生成系 AI が話題となっている。その評価や対応は様々だと思うが、ここでは、その呼び方・向き合い方について雑感を述べさせていただきたい。

 自分の愛車やペットに固有名詞を付けて仲間のように扱うことは恐らく昔からあったと思う。名前を付けて愛着を持って大切にすることは大変良いことだと思う。しかし、先日のニュースで、ChatGPT を授業で活用しているある小学校の先生が「 ChatGPT くん」、また、キャスターが「 AI さ
ん」と読んでいたり、 ChatGPT からの回答の中でも「私は、・・・」という表現があったりするところに何となく違和感を感じた。 AI といえども、人間が作ったプログラムであり、大量のデータを超高速に処理することができるシステムの一つに過ぎない。それを「 AI さんに聞いてみる」とか「訓練する」、「学習させる」、「時々嘘をつく」など、あたかも生身の人間に対するような感覚を抱かせる表現は大変なミスリーディングではないかと思う。別のニュースでは、 AI の作成した写真が国際写真賞( SWPA )を受賞(後に辞退)したことが話題となっていた。それほどの作品を作り上げることができるのは AI のアルゴリズム(ソフトウェア)のすごさと膨大なデータを高速に処理する力(ハードウェア)の結果であろう。それほどに発展した AI であるからこそ、人に近づいた・人を超したと思いたくもなるが、やはり、 AI はあくまで人の作ったシステムであるということを忘れてはならない。

 生成系AIは与えられた課題に対し、学生よりも質の高いレポートを作成するかもしれないと言われている。しかし、学生に課題を課すことの意味からすれば、学生はレポートの作成過程を含めて、内容を良く考え、吟味し、表現を磨いていかなければならない。結果のレポートだけを見て AI に及ばないという結論はいささか早計であろう。ましてや AI の作ったレポートをそのまま提出する様な学生は自分の成長を自分自身で阻害していることを知らなければならない。

 AI はある領域では人間が及ぶことのできない力を発揮するが、総体としては脳を持った生身の人間を超してしまうわけではない。つまり、 AI はあくまで道具であり、それをうまく活用して人間の能力を補完しさらに拡大していくことは人間にしかできないことであろう。目の前で使いこなしてい
るパソコンには人間の能力を超えている部分もあるが、それを擬人化してもそれほど違和感は感じない。しかし、 AI は端末の向こう側に人の存在を思わせてしまう程のできばえである。それ故、安直に擬人化することは危ういことであり、注意する必要があるのでないだろうか。
将来、人間の活動を更に広げるための道具としてAIは活用されていくであろうが、その道具を子ども達の成長に如何に結びつけていくか、それが今の教育界が考えねばならない喫緊の課題であるように思う。

 

共生

八百津町教育委員会 教育委員  小松普門

 カミュの『ペスト』(1947年出版)が災厄や困難に直面した人間がどのように振る舞い、いかに生きるべきかを問いかけていることから、このコロナ禍にとても多くの人々に読まれたそうです。難しそうではありましたが、私も手を伸ばしてみました。このお話に描かれている世界は、さながらコロナ禍の現代社会のようです。ペストも新型コロナウイルスも、人間から自由や尊厳を奪う不条理なもの、という点では全く共通しています。カミュが主人公の医師リウーを通して語る言葉には、この時代にも古びることなく、心に響くものがたくさんありました。

「なすべきことは、確認されるべきものを明瞭に確認し、無用の亡霊をついに追い払い、適切な処置を講ずることである」

「こんな考え方は笑われるかもしれないが、ペストと戦う唯一の方法は、誠実さです。私の場合は、自分の仕事(医師としてできること)を果たすことだと思っています」

ペストは人間らしさを奪うものでした。新型コロナウイルスにおいても私たちは当初、どう太刀打ちしてよいか分からず、不安と混乱に満ちた生活を強いられたことは、まだ記憶に新しいと思います。しかし、徐々に対処法も明らかになり、恐れつつも克服すべきものへと変化しています。
私の町の子供たちも各学校や教育委員会、地域の方々に支えられ誠実に感染症対策に取り組みました。できることを最大限に工夫(明瞭に確認)し、不安におののくばかりでなく(無用の亡霊)、適切に対処してコロナ社会を生き抜いてきました(適切に処置)。今の子供たちにとって「誠実さ」とは、「よく学ぶ」ことではないでしょうか。そしてもう一つ、相手を想いやる力強い心もあるでしょう。コロナ社会は本当に悲惨な出来事でしたが、その中にも大切な学びはありました。一個の人間として生きる自覚と責任を持ちながら、他を尊重し支え合って共生していく心を大切にしてほしいと思います。